地域の歴史文化を学ぶ
- 事務局
- 2月15日
- 読了時間: 2分
(近代登山史に名を残した奥飛騨の猟師)
令和7年2月16日(日) 参加者35名
講師:岐阜県山岳連盟名誉会長 木下喜代男 氏
明治時代になると西洋から近代登山が移入され、大正後期には岩登りや積雪期登山など、よりスポーツ性の高い登山が盛んになりました。この頃から、大学の山岳部を中心に、槍ヶ岳・穂高岳などの困難なルートへの登山が増え、それを支えたのが奥飛騨の中尾・蒲田などの、山に精通した猟師たちでした。
飛騨で最初に日本登山史に登場する案内人は、明治27年にウェストン一行を笠ヶ岳へ案内した、栃尾の奥村市次郎と中尾の山本竹次郎です。
大正3年に小島鳥水の双六谷遡行を助けたのが、下佐谷の高田勘太郎と大倉弁次でした。
大正10年には「上宝登山案内組合」が設立され、中尾・蒲田・栃尾・下佐谷・柏当・上地ケ根の集落から、約30名の山案内人が所属していましたが、その多くは猟師でした。彼らは登山史に残る活躍をし、大正元年には槍・穂高の初縦走、積雪期の奥穂高への初登頂、滝谷の初登攀などの偉業を成し遂げました。
本講演では、こうした飛騨地域の山岳案内人の歴史的な役割や功績について詳しく学ぶことができました。山岳登山の発展に貢献した先人たちの足跡を振り返ることで、現代の登山文化の礎を再認識する貴重な機会となりました。

Comentarios